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貿易と通関の今昔~繊維商社アパレル貿易の舞台裏 8

~2000年代の商社の繊維貿易 番外編 3~

繊維商社が語るバングラデシュ縫製工場の実態:安価な労働力のリスクと生産トラブルの教訓

バングラデシュ、ダッカ

1 バングラデシュの縫製工場で始まった海外生産

2 バングラデシュ縫製工場の構造的な課題

3 格差社会の象徴:工場オーナーの意識と発言

4 ラナプラザ崩壊事故が示した構造的問題

5 品質管理の壁:汚れに対する文化的ギャップ

6 バングラデシュ出張のリアル

7 大量発注で起きたトラブルと教訓

8 バングラデシュと相殺取引が招いた悪循環と経営判断の難しさ

1 バングラデシュの縫製工場で始まった海外生産

こんにちは。

シリーズにてお届けして居る「貿易と通関の今昔~繊維商社アパレル貿易の舞台裏」。

今回は、~2000年から2010年の10年の繊維貿易 番外編~

としてミャンマー・バングラデシュの後半をお届け致します。

背景にあった安価な労働力とコストメリット

前回の記事で、筆者が初めてバングラデシュ・ミャンマー・カンボジア出張した時の事を詳しく書かせて頂きました。その結果として、バングラデシュではカットソー製品、ミャンマーでは布帛製品の工場と取引する事となります。2008年、北京オリンピックが開かれた年でした。繊維産業は、中国の労働工賃急上昇に直面していました。その時、まだまだ十分なコストメリットを享受出来そうなバングラデシュ、ミャンマーとの取引に、若かりし筆者は夢と希望を持って始めた取引となりました。しかし、結果としてそれはとても辛い苦難の連続となるのでした、、、

先ずは、バングラデシュでの取引での事からお話します。

2 バングラデシュ縫製工場の構造的な課題

前回の記事で記載した様に、バングラデシュは国内でのカットソーの素材背景があります。紡績、編み立て、染色が出来るのが大きな強みでした。また、国策として繊維産業に力を入れていました。その内訳は、輸出の85%が繊維関連、当時の輸出先の殆どは欧米向けが中心でした。その中で、日本向けオーダーに対する意欲を持つ工場もありました。なぜならば、欧米向けと比べ、要求品質レベルが高い日本向けのオーダーを受注する事で、自社の品質レベルを上げていきたいと云う意欲的な工場オーナーが居るのです。その内の2軒のカットソー工場と、取引を始める事になります。

人海戦術による生産効率の限界

バングラデシュの縫製工場の特徴の一つは、一言で云うと、ともかく人が多く、生産工程も物凄く細分化されて居ます。中国の縫製工場では、1人でやる工程を2人でやっている感じです。例えば中国では、縫製ラインのミシン工員は、

とこの①~④の作業を独りでやります。

いっぽうバングラデシュの場合、ミシンで縫製する人は、縫製だけを行い(即ち②の)ます。それ以外(即ち①、③、④)のパーツのミシンへのセットと、縫製後の後処理は、別のオペレーターが行います。それらの工員は、メインオペレーター、サブオペレーターみたいな言い方してました。それがほぼ全てのミシンで行われて居るので、単純にミシン1台に付き2人の人が居る計算になります。これは、縫製工程での話です。例えば裁断工程でも、検品工程でも、ともかく作業が細分化されてそれをひたすら行う様な作業工程でした。なので、同規模の中国の縫製工場よりも、肌間隔で言えば、2倍から2.5倍位人が多かった印象です。

中国とバングラデシュの工程比較表

項目中国の縫製工場バングラデシュの縫製工場
特徴人員は比較的少ない
工程が集約されている
人員が多い
工程が細分化されている
ミシン作業員の 工程分担1人ですべてを担当:
①パーツを取ってセット
②ミシンで縫製
③糸処理などの後処理
④次工程へのBOXに入れる
ミシン作業員は
②縫製のみを担当
①③④は別の 補助オペレーターが対応
作業員の構成各工程を1人が担当各工程に
メイン+サブオペレーター の
2人構成
人数の違い
(感覚的)
基準
(1.0)
約2倍〜2.5倍
(感覚的な印象)
工程の細分化裁断・縫製・検品
すべてにおいてある程度集約
すべての工程で
極めて細分化されている

縫製工場の工程の細分化と生産性の低下

実際に数えた訳では無いので、事実がどうだったのかは判りませんが、、、。

バングラデシュの国土面積は、日本の北海道位です。なのに、人口は1億6000万人と世界で一番人口密度の高い国です。

オーナー曰く、

「この国では教育水準が高くないため、作業は細分化・単純化することでしか対応できない」

とのこと。これが“人が多くても生産性が上がらない”構造的課題の原因でした。

まさしく人海戦術ですね。。。

その為、本来ならば人が多かった分だけ生産量も比例して大きく成らねばなりません。しかしながら、上記のオーナーが言う様に1人当たりの労働生産性は極めて低いです。その為に、実際は同規模の中国の縫製工場と同じか、むしろ悪い位だったと思います。即ち、工場としての生産効率は中国に比べて半分以下だったと云う事となります。

縫製工場の生産性とコストのバランス

当時の筆者は、縫製工場の生産性とか、生産キャパとかはあまり考えていませんでした。最終的に品質に比べて値段が高いか、安いかの様な見方しか出来なかったです。そのために、縫製工場の生産効率とかまで深く考えずにオーダーして居たのも事実です。

また、工員が多いので納期等で問題が出そうになったら、それこそ大量に工員を投入すれば、何とかなるだろう、、、、。

みたいな感じで簡単に考えていました。結果として、それは間違いであったと後々、知らしめされる事となるのです。このような事態は誰にでも起こり得ます。

その詳細は、後ほど紹介するバングラデシュの縫製工場のもう一つの特徴とも絡んできます。なので、後ほどお話させていただきます。

3 格差社会の象徴:縫製工場オーナーの意識と発言

ちょっと脱線します。

先ほど、オーナーが発した発言を紹介しましたが、、、。

今振り返ると、このオーナーの発言は、工員に対する敬意も尊厳もありませんででした。縫製工場で働く労働者を、ただの労働力としか見て無い事の象徴でもある気がします。これは、当時筆者に対して発言したオーナーだけの考えだけではありません。一般的なバングラデシュのオーナーの多くが、その様な考え方だった印象です。個人的な感覚ですが、当時のバングラデシュが抱える、格差社会の象徴と言えるかも知れません。

4 ラナプラザ崩壊とバングラデシュ格差社会の影

2013年、その様な格差社会が生んだ悲劇が発生します。首都ダッカの近郊にある、縫製工場数社が入ったビルが崩壊してしまいました。死者・行方不明者を併せて1500名以上の被害者が出る事となります。「ラナプラザ崩壊事故」

世界最悪のアパレル工場事故として記憶されるこの事件は、バングラデシュの労働環境がいかに脆弱だったかを象徴しています。今でもバングラデシュで起きた事故として、覚えてられる方も多いかも知れません。

ILO「The Rana Plaza disaster ten years on」

バングラデシュで発生した事故の背景

このバングラデシュのビルは、縫製工場が数社、銀行、商店などが入居している複合ビルでした。そのため、朝のラッシュアワーに事故が重なり、被害が大きくなってしまいました。事故前日に当該ビルの亀裂が発見され、ビルの使用を中止するように警告がされていました。ところが、ビルのオーナーらが無視。ある縫製工場のマネージャーらは、出勤を拒否する労働者に、

「給与1か月分の支払いを差し控えるぞ!」

と脅迫して無理やり出勤をさせたりしていました。結果、多くの労働者が事故に巻き込まれ命を落とす事となったのです。

欧米ファストファッションとの関係

この事故は、世界展開する欧米のファストファッションのビジネスモデルがしています。バングラデシュの劣悪な労働環境や安価な労働力をフルに活用し、大量の自社商品を生産していました。それらの商品を販売するビジネスモデルで利益を上げている。この状況が浮き彫りとなり、論議を呼ぶ事となりました。これを機に、発注者である大手小売りチェーンが、労働者の職場環境、労働環境にまで、目を光らせて行く様になります。

日本市場への波及とサステナブルの胎動

日本のファッション業界にも影響が及びました。現在は、事業者も消費者も、エシカル(倫理的)でサステナブル(持続可能)なファッションを目指そう!と云う動きが現在進行形で行われて居ます。それもこういったバングラデシュでの悲劇を二度と繰り返さない様にしよう!と云う世界のファッション業界の取組から派生して来たと言えます。

ただ、2008年当時の筆者は、そこまで思い至らず、

「工員の人格も、権利も認めないなんて悪徳オーナーだな。でも、低コストの製品の生産には、安価でかつ豊富な労働力が必要不可欠。なので、こういう考え方になってしまうんだろうな??」

みたいな感じで、そこまで問題意識は持ってなかったと思います。

自分のことながら、残念な話です。

その為、本来ならば人が多かった分だけ生産量も比例して大きく成らねばなりません。しかしながら、上記のオーナーが言う様に1人当たりの労働生産性は極めて低いです。その為に、実際は同規模の中国の工場と同じか、むしろ悪い位だったと思います。即ち、工場としての生産効率は中国に比べて半分以下だったと云う事となります。

人海戦術で解決できるか?

当時の筆者は、工場の生産性とか、生産キャパとかはあまり考えていませんでした。先ずは、最終的に品質に比べて値段が高いか、安いかの様な見方しか出来ていなかったです。そのために、工場の生産効率とかまで深く考えずにオーダーして居たのも事実です。

また、工員が多いので納期等で問題が出そうになったら、それこそ大量に工員を投入すれば、何とかなるだろう、、、、。

みたいな感じで、簡単に考えていました。その結果として、それは間違いであったと後々、知らしめされる事となるのです。このような事態は誰にでも起こり得ます。

その詳細は、後ほど紹介するバングラデシュの工場のもう一つの特徴とも絡んできます。

なので、後ほどお話させていただきます。

5 品質管理の壁:汚れに対する文化的ギャップ

さて話を基に戻しましょう。

次のバングラデシュの工場の特徴は、品質に対する工場の考え方、技術に対してです。

汚れの認識ギャップ

日本とバングラデシュでは、当然ながら品質に対する考え方、基準も全く異なります。以前の記事に書いた様に、筆者は中国との取引に於いて2000年代初頭に貿易公司経由からの取引から、中国の田舎の工場との取引に切替えた際にも似たような経験をしました。しかし、バングラデシュの品質に対する概念の差は中国の時の何倍もありました。

特に顕著なのが、汚れに対する意識です。

我々が汚れで不良と見なす様な製品を彼らは不良としません。しないと云うか、不良と認識できないのです。一言で言うと、見落としが大変多いのです。製品にちょっとした汚れが付いていたとしましょう。我々日本人は一目見ただけでそれを汚れと認識出来ます。しかし、バングラデシュの工員の人はその汚れが汚れと認識できないのです。少し汚れている位では、彼らは汚れと見なさないのです。

考えてみれば、我々日本人とバングラデシュの人たちとでは生活環境がまるで違います。住環境は日本ほど恵まれて無いく、シャワーなども毎日浴びれる人は限られて居ます。その様な環境で生活をしている中で、彼らの考える汚れの無いキレイな状態と、日本人の汚れの無いキレイの状態の基準が同じわけはありません。

手袋義務と文化的背景

私が、取引しているバングラデシュの縫製工場は、改善措置を講じました。白地の製品を生産する場合、全ての工員たちは、手袋の着用が義務付けられていました。

またまた悪徳オーナーの発言ですが、

「工員たちは清潔では無い暮らしの為に手に汚れが染み付いて居り、どんなに手を洗っても白い生地を触ると汚れが付いてしまうんだ。」

と言ってました。

これもかなりの侮蔑的な発言ではあります。ところが実際には、汚れの不良が多かったので、必要な対処ではあったと思います。

ただ、これは汚れが手に染みついているからではありません。手を洗う事自体が、上手に出来て無い為でした。その結果、汚れが手に残って居て製品に汚れが尽き易いのだと思います。

どちらにしても、バングラデシュ人の汚れに対する意識の低さと、汚れ探知能力(こんな言葉あるのか?)を起因とした問題が、その後多発して来るようになるのです。

6 バングラデシュ出張のリアル

ここでちょっとブレイクも兼ねて、当時のバングラデシュ出張の際の食事事情をお話します。

縫製工場のランチ、カレー

縫製工場の昼食は毎日カレー

先ず工場で出される昼御飯ですが、ほぼカレーです。しかもフォークもスプーンも無く、手で食べていました。味は、日本にもあるインドカレーの店と遜色ないレベルなので、とても美味しかったです。私は出張で行って居たので、バングラデシュの工場でお昼食べる事は、一回の出張で2~3回だったのでした。そのため、そのお昼全てがカレーばかりでもまったく問題ありませんでした。しかしながら、現地の案内を務めてくれた検品工場の駐在員の方は、おにぎりを自分で持って来てそれを食べてらっしゃいました。

そりゃ、毎日カレーだとかなりキツイと思います。

バングラデシュ出張の食事事情

また、夕食は、美味しい日本料理を食べさせてくれる日本料理店はありません。

現在のバングラデシュには、数軒の日本料理店があるようです。しかし当時は、一軒もありませんでした。唯一あった韓国焼肉の店で食事するか、または、ホテルで高くて美味しくないパスタや、ハンバーガーを食べる事が多かったです。

ちなみに、バングラデシュは大多数の人はイスラム教です。そのため、お酒の販売もお酒の購入も完全に政府の管理下に置かれて居ます。出張者はその対象外なのです。しかし、そもそもお酒を置いている店が殆ど無いので、ビール一杯飲むのも苦労します。当時、ダッカに唯一あった5つ星ホテルのレストランでは、350mlの缶ビールを飲むことが出来ました。しかし、単価が$15位でとても高かったです。更に、冷えて無いとかいうレベルでは無く常温の生ぬるいまんま出て来ました。そのために、筆者もバングラではお酒を飲まなくなりました。

仕事の後は、旨い飯と旨い酒を飲んで、心も体も癒すと云うのがモットー。

そのな筆者にとって、普段の中国以上に、バングラデシュ出張はストレスの溜まるものでした。

バングラデシュの駐在員の食事

初めてのバングラデシュ出張のことでした。その時、現地で案内して頂いた日本人のお宅に、一度だけ招いて頂いて夕食をご馳走になりました。その人も、この国で一番困るのはお客さんが来た時の食事だと言ってらっしゃいました。その人のお家では、バングラデシュ人のコックが居て日本料理を完璧に作れる様に指導されてました。そこで頂いたのは、お味噌汁とか、きんぴらゴボウとか、卵焼きとかだった気がします。何よりも、冷えたビールも出て来て料理もお酒も本当に美味しくて、異国の地バングラデシュでほっと心が休まったのを覚えて居ます。

7 大量発注によるトラブルと教訓

さて、話を基に戻しましょう。

意気揚々始めたバングラデシュとの取引

2工場とも先ずは、1万枚以下の少量のトライアルオーダーを発注しました。そして、品質、納期とも大きなトラブルも無く無事に納品する事が出来ました。無地のカラーロンTという簡単なオーダーだった事もあります。この、筆者としてもお客様にしても、トラブルなく納品出来たが、大きな自信になりました。

バングラデシュへの大口の発注

トライアルオーダーで手応えを掴んだ筆者とお客様は、次シーズンに大口のオーダーを発注する事にします。プリントTシャツ合計30万枚ほどを、2工場に分けて発注する事としたのです。前回は無地のTシャツでした。そして、今回はプリントTシャツと云う事で、ちょっと心配ではありました。そこで対策を図りました。生産リードタイムを十分に取り、月間1回の出荷、4カ4ヶ月間で合計4回出荷。つまり、分納をさせる事で、リスクを分散させたのです。

分納の意図と現場の混乱

ただ結果として、このオーダーは大きなトラブルとなりました。

初回の製品が日本に入荷され、検品しました。その結果、多くの汚れ商品が発見され日本で全量検品する事となりました。それが発覚した時は、既に2回目の出荷もされてしまっていました。その2回目分も、日本で全量検品は必要だとお客さんに言われてしまいました。そのような状況下で、せめて3回目と4回目の出荷分だけは、日本での検品を避けねばならないと考えました。

と云う事で、筆者はバングラデシュに出張して、縫製工場での出荷前検品を実施する事としました。

縫製工場での検品の限界と悪循環

バングラデシュの縫製工場に入り、3回目の出荷前の製品を検品しました。事前に1回目の問題を共有して工場での自社検品を徹底する様に依頼して居たのですが、、、、。

やはり1回目で発見されたような汚れ不良が多く発見されました。直ぐに再度検品必要と判断して、筆者も検品エリアに入り直接工員に検品の指導をしました。

しかし、先ほど書いた通り、日本人とバングラデシュ人では汚れに対する考え方が違います。そして、汚れを探す能力が、あまりにも差があります。なので、筆者がどんなに指導してもなかなか思う様に検品で汚れを見つけてくれません。一生懸命やってくれるので1枚のTシャツを検品する時間はどんどん長くなります。その結果、検品待ちのTシャツが山高く製品は積まれてしまいました。検品が、生産のボトルネックになっていました。

縫製工場の対応と対策の裏目

これも先ほど書いた通り、工員は豊富に居るので、工場長に更なる人員の検品工程への投入を依頼しました。実際に、次の日から検品人員は、それまでの3倍に膨れ上がりました。結果として、これが完全な裏目に出ました。

追加投入された工員が検品した製品は、全く検品して居ないと言っても過言ではない。そんな想定外の状況でした。よくよく考えれば、担当して居る専門の検品員でさえ見落としが多いのに、検品の知識も技術もない追加投入された工員にしっかりとした検品が出来る筈はありません。結果として、検品エリアは大混乱し、検品待ちの製品が溢れかえっていました。時間の経過と共に、少しずつ解消に向かって行きました。しかし、正常な状態に戻るまで1週間以上は掛かりました。

損失の発生

最終的には、何とかお客さんに、何とか納期を譲歩頂きました。その、3回目、4回目は、そもそもの契約より2週間程度の遅延だけで、無事に船便で出荷する事が出来ました。ただ、1回目と2回目出荷の分の日本での検品費用が発生しています。その分は、損失として発生する事となります。

バングラデシュの縫製工場とも相談の結果、その発生した損失に関しては1:2で我々と工場とで負担する事としました。三分の一を筆者の会社、残り三分の二を工場が負担という形です。ただ、その支払い方法は送金での支払いでは無く、次のオーダーで相殺すると云う事でした。出来れば、送金で払わせたかったのですが、三分の二負担の条件として逆提案がありました。最終的に、次オーダーでの相殺での支払いを、上司とも相談の上で受諾しました。

8 バングラデシュと相殺取引が招いた悪循環と経営判断の難しさ

ただ、この次のオーダーでの相殺を受諾したのは、大きな失敗でした。以降、オーダーを発注する度に、納期や品質等で何らかのトラブルが発生していました。その度に、相殺しなければならない費用はどんどん大きくなって行くのでした、、、

数シーズン後も、そのバングラデシュの縫製工場は、改善できず問題が発生し続けました。オーダーを止めたいのに、相殺すべきクレーム費用が多額に残っていく。その結果、残債を相殺する為に、発注をしている様な状況となっていました。

この頃、筆者のバングラデシュ縫製工場での生産の試みは、社内において、完全に失敗したと評価されていました。

この失敗から得られる教訓は非常に重要です。

今回の、2010年の10年の繊維貿易 番外編 ミャンマー・バングラデシュの後半の記事は、ここまでとさせて頂きます。

次回「ミャンマー編」への予告

次号は、完結 としてミャンマーでの取り組みについてお話させて頂きます。