DIGISHIP

新規登録 ログイン

貿易と通関の今昔~繊維商社アパレル貿易の舞台裏

2010年代編|SPA時代の到来と、商社の役割転換 その2

グローバルSPA × 商社 × アパレル貿易

グローバルSPAの登場

今までとはまったく違う商社の業務内容

完全なチーム制

コラム: メールに関する余談

マニュアル化と色々なExcel表

こんにちは。

前回より引き続いて、2010年から2020年の10年の繊維貿易に関して紹介させて頂きます。前回の記事では、筆者が10年以上在籍した名古屋の営業部から東京の営業部に異動となった話と商社のOEM・ODM事業に関してお話させて頂きました。今回の記事では、商社の中で異動して担当する事となったグローバルSPAとの取引についてお話します。

グローバルSPAの登場

まず、SPAについて復習しておきますと、日本語では「製造小売業」と訳されます。

SPAとは「Specialty Store Retailer of Private Label Apparel」の略です。

製造小売業とは、企画・製造から卸売、小売までの一連のサプライチェーンを統合し、その流通過程で享受する収益を独占する代わりに、最終顧客に対して従来のサプライチェーンによる場合よりも安価で迅速な商品提供を可能とするビジネスモデルです。

2000年代に大きく躍進したSPA企業ですが、筆者が商社として仕事で関わる様になった2010年頃にはグローバルSPAなんて言葉も出始めた頃です。

それ以降もその勢いを衰えることなく更に発展、拡大して行く事となります。

常に新しい事に取組む姿勢を持っています。また、当時ほとんど社会で使われる事の無かったCSRや、サステナビリティと言った事への取組に力を入れ始めたのも、グローバルSPAの特徴の一つです。

グローバルSPAの3つの強み

1、製造小売業:自社で企画・製造し、直接販売することで中間業者を排除し、コストを削減。

2、迅速な商品展開:市場のトレンドを素早く反映し、短期間で新商品を投入できる。

3、グローバル展開:世界各国に店舗を持ち、幅広い消費者層にアプローチできる。

筆者の居た会社は、グローバルSPAが強みを持つ“1、製造小売業”に対して、彼らの製品を企画・製造するサポートをします。当時このビジネスモデルは、会社にとって新たな取り組みを構築する事となりました。

これらを簡単に言うと、生産管理を請け負うという事です。

商社の機能

商社が長年アパレルメーカーとの取引で培って来たことがあります。

と言った、様々なノウハウを生かして取組をする事が出来るからです。

筆者は、商社の中で、名古屋から異動し、グローバルSPAとの新たな取組をするチームに加入する事となりました。

新たに担当する事となったのはその雑貨部門の製品でした。当時で年間数百万枚、金額でも20億円以上の取引額があったので、相当な量であったと言えます。それは、色んな意味で筆者が今まで体験した事も、想像もした事も無い様な世界でした。

商社とグローバルSPAの協業

今までとはまったく違う商社の業務内容

名古屋の営業スタイル

東京で新しく始まった筆者の営業業務は、今までの名古屋でやって来た営業スタイルとはまったくの別物でした。

名古屋時代は、営業に出ると何社かのお客さんを回ります。そこで商談して、新規の引合いや、受注済みのオーダーの生産状況、サンプルの確認等々を独りで行っていました。

無論、生産管理&アシスタントをしてくれる人は居ました。しかし、独りでやる仕事が圧倒的に多かったです。

それに対して、東京のグローバルSPA取引のチームは完全なチーム、商社組織での営業スタイルです。

また、独りでやって居る事が多いから当然と言えば当然ですが、仕事のやり方、進め方が自分流になっていました。それまで経験してきたこと、体験してきたこと等のノウハウは経験則としてありました。しかしながら、営業活動内容を、明確に書面に残したり、何らかの形で記録されている訳ではありません。

日日の業務も、明確なチェックリストがある訳では無く、ただ漠然と頭の中で考えながらやっていました。その中であったのは、営業管理の資料と、毎週一回の朝会で使う週間報告位です。

東京の営業スタイル | グローバルSPA

東京のSPA取引チームは、完全にマニュアル化されていました。日々の業務の記録もしっかりと記録する事を目標としていました。

これらは、お客様であったグローバルSPAから、仕入先の商社に対するの要望でもありました。

企業として、それなりの取引金額となって居た事もあります。そして、個人一人の営業スタイルでは無く、組織としての営業が必要不可欠であった事も一因です。

また、出来る限り業務をマニュアル化する事で、個々人に拠る業務のムラを無くしていました(業務の平準化)。そして、仕組みとして失敗やミスを無くす事が必要でした。同時に、早期に問題点を見つける体制を作る事も必要でした。

そしてそれらは、仕事や報告内容を記録としてきちんと残しておくことも重要でした。

商社の仕事を振り返ると

今考えれば当り前の事なのです。しかしながら、名古屋の営業の仕事は、扱う数量も金額も大きくありませんでした。また。お客さんも地元のアパレルメーカーのおっちゃんたちでした。なので、仕事も自然と泥臭くなっていました。

ただ、東京に異動するとその仕事の仕方から、180度転換した、スマートで合理的なやり方が求められる事になりました。

それぞれ個別に具体的に見て行きましょう。

完全なチーム制

グローバルSPAの組織と業務フロー

チーム構成

当時筆者が入ったチームは、営業担当が筆者ともう一人いて計2人。生産管理が2人、技術担当が1人。これが東京にい。更に海外にローカルスタッフとして中国5人、ベトナム2名 合計12名という大きなチームでした。一つのお客さんの一つのアイテムの為に、この規模のチームはなかなかだと思います。

打ち合わせ

当然、独りでやる業務では無いので、打合せも多く、一日に何度も打合せしていました。

例えば下記のような打ち合わせがありました。

人数が多かったので、それに比例して打合せも多くなっていた印象です。

情報共有

チームメンバーが多い事もあり、情報の共有に関しては、チーム内での徹底を図りました。

10人のチームメンバーがそれぞれ自分の担当の仕事をしています。当然ですが、それぞれの情報を皆が共有して、同じ方向を向いて業務する必要があります。その上で、仕事の内容を共有する事は必要不可欠です。

共有と一言で言うと簡単なのです。しかしながら、日々の自分の持って居る情報を、チーム全員に周知して行くのは、なかなかどうして簡単ではありません。どれだけ打合せをしていても、共有が漏れていたという事もありました。

メールの急増

ちなみに、「 情報共有しましょう 」と言う話をします。

必ずメールをCCで入れてそれで共有した事にする人が居ます。しかし、何の説明も無しに他人宛のメールを入れられても、内容を正しく理解できる訳ありません。

余談ですが、筆者は東京に異動になってから、メールの数が急激に増えました。

名古屋時代には、1日100通前後だったものが、東京に異動して数百通に達する様になりました。これは、チーム内の誰かが最初にお客さんへのメールに、私をCCに入れて配信ました。それにより、そのメールに対するお客さんの返信、更にそれに対するチームの誰かの返信も、配信される様になりました。その結果、どんどんメールが増えて行くのが原因です。

業務記録、経緯確認の意味で後々メールを見返す事も多かったです。そのため、CCを落とすなとも言えなかったので、受信メールは増えるいっぽうでした。

大量メールに苦闘

今であれば、AIを使って、メールの要約だったり、文章の校正、自動返信等で、それだけの量のメールでも処理できるのかもしれません。しかしながら、当時にはそんな便利な機能はありません。

結果として、必要なメールだけ選別して読んで処理する様になるのですが、、、

重要度、緊急性など様々な種類のメールが数百通と来る中で、その時に必要なメールを探し出しそれに対して返信なりの何らかのアクションを適切に行うという事は、とても大変だった事を覚えています。

当時のチームとしては、

と云う事をチーム内で意識してやっていました。

そうする事で、例え他人宛のメールであってもしっかりと読むようになりました。また、それに対する理解も深まります。

コラム: メールに関する余談

メールの事を書いて居て、ちょっと思い出したので、ちょっと脱線しますが紹介します。

筆者は、営業担当と云う事でお客さんからの連絡の窓口的になる事が多かったです。お客さんからのメールが、私宛に来ることも多かったです。

例えば、「○○の品質確認依頼」とか、「納期前倒し依頼」とかです。

チーム内には、それぞれの担当者が居ます。そのため、その担当者にお客さんからのメールの内容を確認して貰った上で、最終的に筆者から返信すると云う事が多かったのです。

さっきの共有のところの話の流れで言えば、

事前にチーム内のメンバーにお客さんの依頼の内容をしっかりと説明する。その上で、仕事をして貰うのが筋だと思います。ところが、当時の筆者は来たメールを、そのまま転送ボタンを押して、一言 

「これ確認お願い」

とだけ書いて転送していたのを思い出しました、、、  

一日に数百通もメールが来ている中で、忙しかったとは言え、こんな乱暴な仕事の振り方を当時して居たとは、自分でも信じられません。

「今もだろ!!」って突っ込みがどこかから聞こえてきそうですが、、、、

長く続く商社友人

話を基に戻すと、

名古屋時代は、一人一人が個人商店みたいな営業スタイルでやっていました。

ところが、東京はその名古屋とは大きく違いました。東京で始まったチームでの業務は、悩みも苦しみ、また成功した時の喜びも分かち合える多くの仲間がいました。

多くの仲間に囲まれた東京のチームは、慣れない土地での慣れない業務をしていた筆者にとって、とても心強かった様に思います。

とりわけ、商社の中での異動直後は、大手グローバルSPAとの取引も、問題を多く抱えていました。

そのため、お客さんから怒られる事もとても多かったのです。

しかし、一緒に怒られるチーム内のメンバーは、もはや戦友みたいな感じになってました。

当時のメンバー12名の内の何人かとは、今は会社が違います。それでも、定期的に会って飲み会をして当時の思い出話で盛り上がっています。

マニュアル化と色々なExcel表

マニュアル化とExcel表

説明した通りチームの人数が多い事もあり、業務マニュアルが非常に重要な役割を果たしました。その意義を上げると、

  1. 業務の標準化:  多くのメンバーが関与する業務では、作業手順を統一することで、業務精度を一定に保つことができます。
  2. 業務の効率化:  チーム全員が共通の指針に沿って作業することで、ムダを省き業務のスピードを向上させます。
  3. トラブル防止:  業務フローが明確化されることで、ミスや不明点を減らし、業務の安定化を図ります。
  4. 引き継ぎの円滑化:  異動や退職が発生しても、業務の引き継ぎがスムーズに進みます。

という事になろうかと思います。

マニュアルの種類

当時、筆者が所属していた商社の中のグローバルSPAチームには、本当に様々なマニュアルが存在していました。

とかとかです、、、必要に応じてそれの英語版、中国語版なんかも作成してました。

更には、そのマニュアルに付随する様々な表があったので、その種類も物凄い数ありました。

ありがちなので言えば、

などですが、更に深堀した

…等々、これらは本当に一部で多種多様な表をエクセルで作っていました。それらを、チームで共有して運用管理して居たのを覚えています。

マニュアルの効果

それらのマニュアルを作成して、運用して行く事は、物凄く大変でした。その運用はとても大変でした。しかし、それらのマニュアルや表によって、ノウハウがチームに蓄積されていきました。

そうして、アップデートして使う事が出来ました。

チーム自体は、その後も10年以上続いて行きました。

そのため、当時使ったマニュアルや表をベースにしたものを、その後何年間も継続して使う事が出来ました。

この様に多くのマニュアル作成や、Excel表の活用は、業務の平準化、効率化には不可欠だったと思います。チーム単位での業務になるから、尚更だったと思います。

商社の個人的とグローバルSPAの組織的

新しく担当した、グローバルSPAとの取引の中で求められる商社の仕事のやり方は、名古屋時代とは全然違うものでした。

その組織的で、効率的、またある意味ドライな仕事の進め方は、泥臭い営業スタイルが身についていた筆者にはなかなか馴染むことが出来ませんでした。 

ただ、冒頭で説明したグローバルSPAの特徴の一つでもある、常に新しい事に取組む姿勢、当時ほとんど社会で使われる事の無かったCSRや、サステナビリティと言った事への取組に力を入れ事など、商社とても学びになった事も多かったです。

そのあたりも含めて、次回はより詳しい取引内容について書いて行こうと思います。