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貿易と通関の今昔~繊維商社アパレル貿易の舞台裏

2010年代編|SPA時代の到来と、商社の役割転換 その3

― CSRが繊維貿易の常識を変えた ―

本記事は、理念としてのCSRではなく、

「現場で何が起き、取引がどう変わったのか」を、実務の視点から記録したものです。

アパレル工場

アパレル業界でCSRが取引条件になった理由

CSRが取引条件になった2010年代の繊維貿易

グローバルSPAが進めるCSRへの取組

CSRが変えた「現場の常識」と商習慣

丁寧語で怒られるという新しいハラスメント感覚

グローバルSPAがCSRの先駆者になった理由

アパレル業界でCSRが取引条件になった理由

2010年代、繊維・アパレル業界では、

「品質が良く、納期を守れる工場」だけでは、取引が継続できない時代 に突入しました。

その大きな転換点となったのが CSR(企業の社会的責任) です。

当時、グローバルSPAは、業界に先駆けてCSRを取引条件に組み込みを始めました。そして、品質も納期も問題のない主力工場であっても、CSR違反が発覚すれば即座に取引停止、という判断を下していました。

本記事では、2010年から2020年にかけての繊維貿易の現場で、CSRがどのように工場選定や商社の役割を変えていったのか、筆者自身の実体験をもとに紹介します。

これは、理念としてのCSRではなく、年間2,000万ドル規模の取引が消える現実の話 です。

本記事は、2010年代における繊維商社とグローバルSPAの取引変化を振り返るシリーズの第3回です。

前回の記事では、筆者が名古屋の営業部から東京の営業部に異動後に担当する事を話しました。そして、そこではグローバルSPAとの取引に関して説明しました。 今回の記事でも、引き続きグローバルSPAとの取引に関してお話します。

CSRが取引条件になった2010年代の繊維貿易

前回の記事でご紹介した事です。

グローバルSPAの特徴として、新しい取り組みを積極的に取り組んでいます。その象徴的な事が、2010年時、既にCSRへの取組をしていた点です。

CSRとは、企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)の略です。

企業が、事業活動を通じて社会や環境に与える影響を考慮し、ステークホルダー(従業員、顧客、投資家、地域社会など)に対して責任ある行動をとることを指します。それは、利益追求だけでなく、社会の一員として、持続可能な社会の実現に貢献する考え方です。

2010年当時、アパレル業界においてCSRはまだ「当たり前」ではなかった

今でこそ、殆どの上場企業、アパレル企業は、SDGs(持続可能な開発目標)やESG投資など、社会的な責任を果たすことが求められるようになりました。企業は、法令順守に加え、環境問題や人権問題など、社会全体に関わる問題にも積極的に取り組む様になりました。しかし、2010年当時は、まだほとんどの企業がその様なCSRの取組を実施して居ませんでした。

1990年代から2000年代に掛けて食品偽装問題や、リコール隠しなどの問題が、日本を代表する大企業で発覚し、それが大きな社会問題になります。

結果として、CSRやコンプライアンスといった概念が、少しずつ注目される様になって行く事となります。その走りとして、2000年代中盤以降に企業の社会的な責任が求められる様になました。更に、CSRと云う言葉が出始める様になりました。今思えば、ほんとうに時代の最先端を行って居たのだなと感心してしまいます。

CSR違反で主力アパレル工場が使えなくなるという現実

この章のポイント

当時の筆者は、このCSRと云う言葉は知りませんでした。東京に異動して、グローバルSPAの担当をする事になって、初めて知る事となりました。それは、筆者の異動にも絡む大きな要因でした。筆者の東京の異動先は、前回の記事で書いた通り、グローバルSPAの雑貨製品の担当チームです。そのチームは、新たな取組をすると云うのがミッションでした。その新たな取組と云うのが、新たな持続的安定的な生産基地(工場)の開発でした。

品質・納期が完璧でもアパレル工場との取引がCSRによって停止になった理由

もともとメイン生産工場があり、そこで殆どの製品を生産してグローバルSPAへ納品して居ました。しかも、そのメイン工場はあまりにも優秀で、品質も、納期も、殆どトラブルがありませんでした。そのため、生産管理としての商社機能は、殆ど必要ありませんでした。

しかし、その工場がCSRの問題で急遽次のシーズンから使用できなくなりました。その大量のオーダーを生産する工場を、開発して行かなければならない緊急事態が発生します。

筆者が、東京へ異動してきた時は、まさしくそんな感じの状況でした。

年間2,000万ドルの取引が無くなるCSRリスク

CSR違反、アパレル工場

当時で、年間数百万枚、取扱金額で2,000万ドルのオーダーを生産出来る工場は、簡単には見つかる訳がありません。

それでも、CSR案件は絶対でした。そして、その製品の受注取引を継続する為には、新規の生産工場を探すしか方法がありませんでした。

当時の筆者は、まだCSRという言葉を聞いた事はあるが、内容は詳しくは知らない様な状態でした。それが、品質も、納期も完璧に対応出来るアパレル工場がCSRの問題が起こっただけで、即刻取引が無くなると云うのは衝撃的でした。年間数百万枚、2,000万ドル以上の取引が無くなるリスクと云うのを目の当たりにした瞬間でした。

かくして、新天地での筆者の色々な苦労がそこから始まる事となります。

グローバルSPAが進めるCSRへの取組

では、具体的にどの様な取組を当時していたのか、紹介させて頂きます。

アパレル工場のCSRガイドブック策定

お客様は、グローバル企業として社会的責任(CSR)を重視しました、そこで、2000年代中盤に、仕入先である生産工場向けのCSRに対する指針をまとめたガイドブックを作成します。そのガイドブックは、当時まだ社会的にも認知度が低かったCSRの内容を理解し、実践・改善に活かしてもらうための手引きでした。ガイドブックでは、下記の順守を求めていました。

などの重要領域

第三機関によるアパレル工場のCSR非通知モニタリング

第三機関によるアパレル工場のCSR非通知モニタリング

生産工場は年2回、第三者機関によるモニタリングを受け、その結果に基づき評価(A~E)がなされます。違反の深刻度に応じて改善計画の提出やフォローアップ調査が義務付けられ、重大な場合(例:児童労働や深刻な人権侵害)は即時に取引停止となることもあります。

これらのモニタリングは非通知。即ち、「いついつにモニタリング実施しますよ」と云うアナウンスはありませんでした。モニタリング当日の朝に、工場に突然訪問が行われ実行されます。

その為に、モニタリング時だけ対応するのではなく、工場全体がCSRの内容、重要度を理解して常日頃から対応して行く事が必要不可欠でした。

モニタリングでは、施設訪問、従業員インタビュー、文書確認が行われました。そして、指摘があればCorrective Action Plan(改善措置計画)の提出が求められます。モニタリング実施者への書類や施設へのアクセスの許可、インタビューが実施されました。工場にとって不利な発言をした従業員への報復禁止など、工場側にとっても透明性と誠実な対応が不可欠でした。

アパレル工場における即取引停止となるCSR違反と、改善猶予が与えられる項目

それらのCSR活動を通して、

工場側が守って行かなければならない各項目は、2つ設定されていました。

即取引停止になる様な項目以外では、予防と早期改善の観点も設けられていました。同時に、ある程度工場側が改善して行く猶予期間も認められては居ました。それらの活動を通して、工場運営の法令遵守と倫理性を高めていくと云うのが、グローバルSPAであるお客さんの方針でした。

代替アパレル工場探しとテスト生産の現実

当時の筆者たちは、メイン工場の取引停止に伴い、急遽その代替工場を探す事となります。

その当時は、7社の工場をノミネートして、テスト生産をしながらこのCSRの活動も実施して行きました。

正式なモニタリングをいきなり行うのではなく、先ずは工場と共に必要事項の確認と、問題点の洗い出しを行います。筆者の会社もそのサポートとして工場に何度も出向き、工場の内容確認、精査を行っていました。そして何よりも重要だったのが改善指導を工場と一緒になって実施する事でした。

7社の工場をノミネートして、最後に残ったのは1社の工場だけだった

ノミネートした7社の工場の中には、残念ながら、取引停止の工場も出てきました。児童労働、強制労働と云った事が発見され、即取引停止になる工場がありました。更には、即取引停止にはならなくても、改善事項がいっこうに解決されず、最終的に取引停止となる工場が多発しました。

当然CSR面以外での問題点があったアパレル工場も、ありました。これらの過程を経て、最終的に生き残った工場は1社のみとなりました。

CSR以前の工場に根強く残っていたアパレル業界の価値観

2010年当時の工場(中国、アセアン諸国問わず)の事です。CSRで求められるような事を、そこまで意識して生産しているアパレル工場はむしろ少数派でした。

「安くて、良いもん、納期通り作っていれば問題無いでしょ!!」

的な考えをしている工場が殆どでした。

このCSRの取組を説明しても、心の底から理解してくれるアパレル工場経営者は、少なかった様に思います。工場経営者の多くは、オーダー欲しいので、表面上は「判った直ぐに改善すると」言います。

しかしながら、改善しなかったり、改善しても直ぐに基に戻ったりしていました。

CSRが変えた「現場の常識」と商習慣

この章のポイント

このCSRの取組は、生産者側であるアパレル工場だけに留まりませんでした。グローバルSPA側でも、厳しく要求されていました。そして、その解釈が曖昧だった事もあり、本当にお客さん(グローバルSPA側)も、手探りでやっている感じでした。

その中でも良く言われていたのが、生産者側の立場(生産工場や我々商社)との関係についてです。

「お客様は神様」という考え方がNGになった理由

日本の商習慣で言えば、「お客様は神様です。」という言葉が示す通り、お客さんの立場の方が強くて、発言力も影響力も大きくなります。

それに伴い、当然ながら態度も横柄になり、言葉使いもぞんざいになって行く事が少なからずあります。全ての人がそうであるとは言いませんが、バイヤーと云う立場を意識した言動をされる人も少なくありません。

生産者側も、むろんバイヤーから仕事を貰って居る立場なのですから、それに異を唱える事や、逆らおうとは致しません。

CSRの禁止事項

しかし、CSRの考えで言えば、それはNGと云う事となります。

取引先とは、お互いに公平公正かつ、清廉潔癖な関係を保ち末永くお取引をする事が重要です。

そして、取引に於いて体罰、あるいは口頭に於いて、肉体的、性的、精神的、ハラスメントを行なってはならないと云う事となっています。

文章にするとその通りの内容で理解は出来ます。しかしながら、抽象的な表現で明確な基準が書かれてはいません。

では、「具体的に何をしたら問題なのか?」

その事が判り辛いかった為に、現場レベルでもかなり手探りで対応している感じでした。

アパレル工場訪問時の食事すらCSRの問題になる時代

アパレル工場訪問時に工場の食堂での食事すら、CSRの問題になる時代

例えば、お客様に工場を訪問して頂いた際、工場側は当然昼食を用意します。

当時多かったのは、マクドナルドや、ケンタッキーを買って来て昼食時に出し、会議室で食べたりしていました。その場合は、そのマクドナルドとかケンタッキーの費用を、わざわざ支払って頂いていました。

まだそれぐらいは、理解出来なくもありませんでした。

しかし、ケンタッキーとかマクドナルドでは、工場の食堂で食べる場合でも、あくまでも目安となる食事の費用を聞かれ、その費用を現金で支払って頂く場合もありました。さすがに、「これは行き過ぎだったなぁ~」、と今にしては思います。

このCSRへの取組は、仕入先側にもそれなりの対応を必要とされました。同時に、お客さん側の対応も相当大変だったなと思います。

ちなみに、この食事に関するルールに関しては、後に明確化されました。その結果、常識的な範囲での食事やレストランでは、食事を振舞われても何ら問題ない事となりました。

現実的な感想

名古屋時代の筆者は、接待する側でも、接待される側でもありました。その場合は思いっきり経費を使って飲んで、歌って楽しむタイプでした。接待する時は、接待する側の人間が楽しく接待しないと、接待される側の人間は楽しい訳が無い。逆に接待されるときは、接待される側の流儀として思いっきり楽しむなんて事をやっていました。そのような筆者としては、このCSRの考え方の素晴らしさには同調しつつ、いっぽうでちょっと寂しい思いを感じたのを良く覚えて居ます。

丁寧語で怒られるという新しいハラスメント感覚

あと、印象に残っている事で言えば、ハラスメント関係についてです。

例えば、商談時の言葉使いも大変丁寧でした。普段の商談時に丁寧なのは当然として、

問題が発生した時などは、いつも以上に丁寧な言葉使いで怒られたりする事となります。

以前の名古屋時代、怒られるときは、本当に感情をあらわにして起こる人が殆どでした。一方で、東京の商談はスマートだなぁと、妙に感心したのを覚えています。ただし、言い方が丁寧なだけであって、言っている内容はかなり厳しかったです。

なので、逆にそっちの方が、出来て無い点、問題点を冷静に指摘されました。怒られているこちら側としては、気分的にとってもダメージがデカかったのを覚えています。

コラム:ひとむかし前の商社やアパレル業界

ちなみに、この話を書いていて思い出しました。

名古屋のお客さんで、筆者が納期遅れを報告した際の事でした。

激昂して

「納期遅れが許される訳が無い。船が無いんだったら、泳いで取ってこい!!」

と言われた事もありました。

確か、台風か何かの外的要因で、船が遅延したとか、欠航したとかのトラブルでした。その影響で、最終的に納期が間に合わなくなった為でした。

確かに、それに至るまでも、何度か納期遅れしており、最後の最後にとどめを刺した様な形になってしまいました。なので、つい我慢できなくなったのでしょう。

筆者も謝る事しか出来ませんした。

今振り返ると、

昔は本当に怒る人、怒鳴る人が多かったです。

とりわけ私が新入社員だった頃なので2000年以前の話です。

Aさん|国際電話

2時間以上も国際電話で納期遅れの件を何とかしろと言い続けるAさん

(この当時の国際電話代はバカ高かったにも関わらず、、、)。

Tさん | 怒鳴る

「俺を誰だと思っているんだ!!ふざけた態度していると後で痛い目みるぞ!!」

と、貿易公司の中国人に怒鳴るTさん

(中国人にとっては馬の耳に念仏状態)。

S部長 | プレッシャー

毎週の朝会で、営業マン全員に、

「売上が足らん、利益が足らん、もっと血の汗かいて必死に営業して来い」

と、プレッシャーをかけ続ける隣の部のS部長

等々でした。

ハラスメントと云う概念も殆ど無く、(有るのはセクハラぐらい)でした。

本当に今考えると、みんな一発退場する様な人達ばっかりです。  

グローバルSPAがCSRの先駆者になった理由

話を基に戻すと、

グローバルSPAがCSRの先駆者になった理由

アパレルCSRは「理想論」ではなく「競争条件」だった

今でこそ当たり前となって居るSDGs(持続可能な開発目標)やESG投資など、社会的責任に関して、繊維産業でどこよりも早く取り組み始めたのはグローバルSPAでした。

それが正しい事であるのは、今や殆どの企業が取組んでいる事で証明されていると思います。

2010年代にグローバルSPAが進めたCSRへの取組は、単なる理想論ではありませんでした。結果として、繊維産業全体の基準を引き上げました。

CSRはコストでも制約でもなく、取引を継続するための競争条件 だったのです。

引き続き次回の記事では、SPAとの取引に関して記載させて頂きます。

・第1回|繊維商社とアパレル貿易の変遷
・第2回|グローバルSPAとの取引変化
・第3回|CSRが工場取引を変えた現実