
こんにちは。
2010年から2020年までの10年間の繊維貿易について紹介してきましたが、前回の記事までで計7回となりました。
他の年代に比べて圧倒的に記事の量が増えたのは、書く材料に事欠かなかったからに他なりません。
その中でも、特に筆者が直接担当していたSPAとの取り組みについては、詳しく書かせていただきました。SPAとの取り組みだけでも5回の記事に分けるほど、内容の濃いものでした。
正直、それでも書き足りないくらいなのですが。
今回は少し趣向を変えて、番外編として「長期ベトナム出張編」を書かせていただきます。
SPAとの取り組みは、ここまでの記事で説明してきた通り、生産管理が重要です。
生産進捗管理の具体的な実務については、「アパレルの生産進捗管理とトラブル対応」でも詳しく紹介しています。
SPAとの取り組みは、ここまでの記事で説明してきた通り、生産管理が重要です。
そして、しっかりとした生産管理をする上で、生産現場に入ることは必要不可欠です。
などなど、現場に入らないとできないことはいっぱいあります。
有名なテレビドラマのセリフではありませんが、
「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!!」
です。
なので、現場に行くことをSPAからも求められていました。
現場に行く。すなわち、工場の生産現場に張り付くということです。
筆者がSPAのチームに合流した当時は、生産工場が9つもありました。
中国の南通エリア、山東省エリア、そしてベトナム・ホーチミンエリアに工場が点在していたので、それらを管理するだけでも本当に大変でした。
最終的には「選択と集中」を行い、中国1社、ベトナム1社に集約しましたが。

当時は、筆者の他にもう一人営業担当がいて、その人が中国・上海に駐在して中国全土をフォローし、筆者はベトナムの工場を担当していました。
特にベトナムの工場は問題が多かったこともあり、2010年の加入当初は、月に1回、1週間程度ベトナムへ行く感じでした。
しかし、徐々にベトナムでの滞在時間が長くなり、2011年には、ほぼベトナムで仕事をしていました。
しかも、駐在ではなく「出張」としてです。
毎月3週間はベトナムの工場で仕事をし、会議のある1週間だけ日本に戻る。そんな生活です。
なぜ駐在ではなく出張だったのか。
そもそも最初は短期出張だったものが、徐々にベトナムでの滞在期間が増えていったこと。また、駐在となると組織の人員や現地での福利厚生など、いろいろと事務的な手続きも必要になります。
さらに、あくまでもベトナムの工場を正常に運営できる状態にすることが、出張の目的でした。
ある程度その目的が達成されれば、長期出張を徐々に減らしていくこともできます。
その意味でも、駐在より融通の利きやすい「長期出張」という形になったのです。
ここからは、そんな長期出張の日々を紹介させていただきます。

ベトナムの朝は早く、工場は毎朝7時半から操業していました。
筆者も外部の人間とはいえ、工場の正常化のために出張に来ている身です。工場の操業開始時には出勤しておく必要があります。
工場はホテルから車で1時間くらいの距離にありました。
毎朝、専用の車がホテルまで迎えに来てくれ、それに乗って工場へ通勤します。帰りもホテルまで送ってもらっていました。
ホテルを出るのは、朝6時半くらい。
ホテルの朝食が6時からだったので、毎朝開店と同時に、一番乗りで食べに行っていました。
専用車での通勤は、満員電車での通勤を思えば、とても楽でした。
朝早いのは大変でしたが、車に乗ってしまえば、寝ていれば工場に着くのですから楽なもんです。
もちろん帰りも送ってもらっていたので、通勤面では本当に楽でした。
ちなみに、工場には幹部社員のための寮もあり、何人かの幹部社員はそこで寝泊まりしていました。
部屋も余っていたので、筆者も住もうと思えば住めました。
ただ、さすがにホーチミン郊外の工場の寮に住むのは、安全面、衛生面など、いろんな面で問題もありそうだったので、丁重にお断りしました。
工場に出勤すると、まず朝のミーティングがあります。
どこの会社にもある朝会みたいなもんですね。
朝のミーティングは部署ごとに行われていて、生産現場では工員を集めて工場長がしゃべっていたり、事務所では事務員が集まって、その日の目標や前日に発生した問題点などを報告したりしているようでした。
ただし、すべてベトナム語です。
私は何も分からないので、横で難しい顔をして座っているだけでした。
それでも、毎朝そのミーティングに出席していると、何となく雰囲気というか、工場全体の意識を感じられるようになったものです。
また、工場の工員や事務所のスタッフにも、日本から出張者がわざわざ来て、納期や品質を管理していることの意味を少しでも理解してほしいという気持ちもありました。
朝会が終われば、与えられた専用の部屋でデスクワークをしたり、必要に応じて現場へ行って製品を検品したり、生産の進捗をチェックしたり、書類関係の手続きをしたりしていました。
また、メインの工場とは別に生産している工場が2社あったので、週に何度か、そちらの工場へ検品に行くこともありました。
なので、意外にやることは多く、忙しかったです。
まあ、出張して行っているのですから、当たり前と言えば当たり前ですが。
ベトナム工場での生産管理担当者の仕事については、「繊維商社の生産管理が語るベトナム工場の現場」でも、別の視点から詳しく紹介しています。
SPA取引では、こうした現場での確認が品質管理にも直結します。実際にSPA取引で発生した品質トラブルと対応については、こちらの記事で詳しく紹介しています。
当然ながら、工場にいる日本人は筆者一人です。
そのため、日本語を話す機会はほとんどありませんでした。
当時はスマホが出始めた頃で、まだまだ普及初期。LINEの音声通話やTeamsでのウェブ会議などもありません。
日本語を話すには、国際電話をかけるしかありませんでした。
今よりもずっと、通話に対するハードルが高かったです。
それを思えば、今はWi-Fi環境さえあれば、相手が世界中どこにいても音声通話ができ、画面越しにウェブ会議までできます。
本当に便利な世の中になったものです。
とはいえ、悪いことばかりではありませんでした。
日本語を話せず、一人寂しい思いもしていましたが、上司の目を気にせず仕事ができたのは、心理的にはとっても気が楽でした。
むしろ、良かった面の方が大きかったなと思います。
そのせいか、工場で仕事をする時の服装も、だんだんとカジュアルになっていきました。
最初は真面目にYシャツ、スラックス、革靴。
それが、ポロシャツ、ジーンズ、スニーカーになり、
最後の方は、
Tシャツ、短パン、サンダル。
本当に自由なものでした。
もちろん、日本から出張者やお客さんが来る時には、ちゃんとした格好をしていましたが。
仕事が終わるとホテルまで送ってもらい、その後は近くの日本料理屋で、一人でご飯を食べることが多かったのだろうと思います。
「思います」と書いたのは、普段の夕食について、ほとんど記憶がないからです。
ホテルから歩いて15分くらいのところに日本料理店がいっぱいあったので、そこで食べていたと思います。
今のホーチミンには、もつ鍋屋があったり、広島風お好み焼き屋があったり、博多料理屋があったりと、それこそ何でもあります。
当時も今ほどではないにしても、日本料理店は充実していた記憶があります。
ただ、普段の仕事上がりに、何を、どこで食べていたのかは、まったく思い出せません。
まあ、あまりにも普通のことだったので、記憶にも残っていないのだろうと思います。
当然ながら、土曜日も工場は操業していました。
自分だけ休むとは言えないので、当然、筆者も工場へ行きます。
さらに、当たり前ですが、現地では日本の祝日など関係ありません。
日本が祝日で休みであっても、ベトナムでは普通に出勤して仕事になります。
当時、工場で仕事をしていると、
「この件、日本側に確認してほしい」
と言われることがよくありました。
そこで、
「今日は日本が祝日なので、返事は明日になります」
と答えると、
「また日本は祝日なのか!?」
と言われることが何度かあったのを覚えています。
この長い業務時間は、ベトナムでの長期出張で辛かったことの一つです。
まあ、土曜日や日本の祝日は、日本からの電話もメールもなかったので、のんびり仕事をしていたのも事実ですが。
ちなみに土曜日は、まさしく「花の金曜日」ならぬ、花の土曜日という感じでした。
土曜日の午後になると、みんなとても幸せそうになります。
一週間で休みが一日しかないので、その休みに対する思い入れも強くなります。
筆者の場合、だいたい土曜日の仕事が終わると、工場の幹部連中に連れられて、夜のホーチミンへ繰り出すことになります。
一次会で焼肉や日本料理を食べ、その後でナイトクラブに行くというのが定番の流れでした。
工場の幹部連中も、筆者がいれば経費を使って無料で食べて、飲んで、遊べるので、そこで日頃のストレスを発散している感じでした。
筆者も嫌いじゃない方だったので、断りもせず毎週付き合って楽しんでいたのを、この記事を書きながら思い出しました。
今振り返ると、同じ境遇になったとしても、絶対に毎週は行かなかっただろうなと思います。
そういう意味では、筆者も歳を取ったもんだなと、しみじみしてしまいました。
一方、仕事を離れれば、長期出張ならではの生活もありました。
駐在員ではなく「長期出張者」だった筆者は、アパートを借りるわけでもなく、毎月ホテルで生活していました。
駐在ではなく、あくまでも出張ベースだったので、アパートやマンションではなく、普通のホテルに長期滞在していました。
泊まっていたホテルは、決してヒルトンやマリオットのような一流ホテルではありません。
それでも4つ星クラスのホテルだったので、宿泊費だけでもバカにならなかったと思います。
月に3週間。それを1年近く続けているので、当然ホテルではかなりの有名人になります。
フロントスタッフからベルボーイ、掃除のおばちゃん、果ては朝食のフォー担当のおばちゃんまで、筆者のことを覚えてくれ、いろいろと便宜を図ってもらったものです。
日本から戻ってチェックインする時には、
「Welcome back。お帰りなさい」
日本へ戻るためチェックアウトする時には、
「See you later。また今度ね」
みたいに言われたものです。
また、朝ごはんでは必ずフォーを食べていました。
そのため、朝食バイキングへ行って席に座ると、まずホットコーヒーが運ばれてきます。
そして、しばらくすると、ちょうどコーヒーを飲み終えた頃にフォーが自動的に運ばれてくる。
さらには、デザートとしてフルーツまで持ってきてもらえるようになりました。
特に何てことはないのですが、とても嬉しかったように思います。
そして、一週間で唯一の休日が日曜日でした。
とっても貴重な休みなのですが、さりとて1年もホーチミンに通っていると、だいたいの観光地や旅行者が行くような場所には行き尽くしてしまいます。
そうなると、どこかへ行こうとも思わなくなります。
なので、基本的に日曜日は、だらだらと過ごしていました。
普段は朝が早く、さらに土曜日の夜は遅くまで飲んだくれていることもあります。
日曜日の朝くらいは昼まで寝ていたいのですが、それでも9時には起きて、朝食バイキングへ行っていました。
平日は朝食をゆっくり食べられないので、日曜日だけは1時間くらいかけて食べます。
新聞を読みながらコーヒーを飲み、フォーを食べる。
オムレツや目玉焼きなどの卵料理を作ってもらい、さらにデザートで甘い物まで堪能する。
その後は部屋に戻り、バスタブにお湯を張って、しっかりとお湯につかる。
そして、本を読みながら昼寝。
また、平日はほとんど歩くこともなかったので、日曜日くらいは運動しようと、夕方からホテルのジムへ行って、軽くランニングをしたり、ウェイトトレーニングをしたりして汗を流すこともありました。
出張という立場だったこともあり、駐在員のような横のつながりもほとんどありません。
また、筆者はゴルフもしないので、ほぼすべての日曜日を、一人でまったりと過ごしていました。
こんな感じで、筆者のベトナム長期出張の日々は過ぎていきました。
今回は、2010年代の繊維貿易そのものから少し離れて、当時のベトナムでどのように仕事をし、どのように毎日を過ごしていたのかを書かせていただきました。
長期出張をしていると、工場とホテルを往復しているだけでも、いろいろな出来事が起こります。
次回は、そのベトナム長期出張中に起こったさまざまな事について書かせていただきます。
◇製作協力
株式会社JJコーポレーション 吉田修さん