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貿易と通関の今昔~繊維商社アパレル貿易の舞台裏 4

~ 2000年代の商社の繊維貿易 その2 ~

こんにちは。

前回より引き続いて、2000年から2010年の10年の繊維貿易に関して紹介させて頂きます。

前回記載の通り、2000年からの10年間はデフレが急速に進み、消費者の要求する価格もどんどん低価格化がして行きました。その中でも、繊維製品はその最たる品目の一つだったと思います。

デフレ下の中、筆者の所属していた部署は、市場の低価格重視のニーズに答える為に、より安い製品を求めていました。中国側での工場管理、品質管理、納期管理をスムーズに行う貿易公司(前々回の記事参照)との取引を減らし、貿易公司のマージンを無くす事でより安く製品を仕入れ出来る工場との直接取引を増やして行きます。 

トピック1 工場との直接取引 “考え方の違い”

トピック2 工場長に言われた忘れられない一言

トピック3 中国ビジネスで大切なコト

トピック1 工場との直接取引 “考え方の違い”

いろんな面でスムーズな取引が出来た貿易公司との取引に比べ、工場との直接取引は色々な面で不便さや、デメリットを感じました。

前回の記事では、そのデメリットの一つである“場所の問題”を紹介させて頂きました。

今回は最大のデメリットとも言える“考え方の違い”に付いて書かせて頂きます。

“考え方の違い”とは、

中国と日本では、もの作りに対する考え方が、根本的に違い過ぎると云う事です。

以前の貿易公司との取引に於いて、彼らは我々と取引をするに当たり日本市場の品質や納期に対する考え方や、日本人の気質を良く理解、もしくは理解しようとする姿勢を見せてくれました。つまり、我々が言った事に対して、貿易公司は先ず受け止めそれを咀嚼して工場側、生産側に伝えてくれていました。もちろん出来ない事、無理な事に対しては、ちゃんと相談して妥協点を提案してくれていました。

いっぽうで、貿易公司を通さない工場との直接取引の場合、そんな訳には行きません。中国の田舎の工場のおっちゃん、おばちゃんは、違いました。先ずは、貿易の事や日本市場の要求する品質基準や、納期に対する考え方を理解しませんし、理解しようともしません。その上、自分たちの考えが全て正しいとばかりに、自分たちの論理をただこちらに押し付けて来るばかりです。

この頃に筆者は中国語を少しずつ覚え始めました。

すぐに覚えた2つの中国語

その最初に覚えたのが、、、差不多(チャープトー) と 没問題(メイウェンティ) です。それは、工場に行くと工場に居る現場の責任者(班長や、工場長)がほんとうに、良くこの2つの言葉を使うからにほかなりません。

例えば、筆者が工場の現場に入り、製品を検品して居る時に、

日本のお客さんからの指示と違う部分に対して、指示と違うから修正する様に言うと

「差不多 Cha Bu Duo」

( 差は多くない、要は指示と比べ大きな違いは無いと云う意味)

を、ひたすら繰り返し簡単には修正に応じてくれません。

また、汚れやほつれ等の不良を指摘すると、

「没問題 Mei Wen Ti」

(問題は無い、これは読んで字の如くですので判り易い)

これ位の汚れや、ほつれは中国では問題無いと言い張り、なかなか補修には応じてくれません。

この二つの中国語は、本当に多く言われたので、直ぐに覚えてしまいました。

工場との関係構築

その都度、日本の市場ではその様な事(指示と違う製品や、よごれやほつれ)は許されないと云う事を丁寧に説明しました。そして更に、理解、もしくは妥協して貰いながら進めて行くので本当に大変だったのを覚えて居ます。

また日本もそうですが、工場のおっちゃん、おばちゃんは、一度人間関係を作ると無理を聞いてくれたり、必要以上に協力してくれたりした事もありました。一言で云うと人間味がある感じです。

2003年とか、2004年になると、工場との直接取引にも慣れてきました。南通地区、青島界隈の田舎を中心に色々な工場とも貿易取引を開始しました。そして、人間関係、信頼関係の構築出来た工場とは、スムーズな取引できる様になりました。 そんな工場との取引になれた頃に、忘れもしない大きな事件を筆者は起こしてしまうのです…

トピック2 工場長に言われた忘れられない一言

筆者は2004年頃も引き続き子供服のお客さんを中心に営業担当をしていました。その中で、名古屋の年商約10億円の小さな子供服メーカー向けのオーダーで、事件は起こります。

大型案件の受注

当時、そのお客さんとは大きな取引をしていた訳では無く、お互いにお付き合い程度の取引している感じでした。要求する単価がとても安く、なかなか受注出来なかった事が原因です。当時、子供服業界の市場規模は少子化に伴いどんどん縮小して行く状況した。ただ、何とか売上を拡大したかった筆者は、青島地区の工場との直接取引をする事で、そのお客さん相手の取引としては過去イチのビックオーダー(と言っても、2~3万枚位だったと記憶。)を受注する事が出来たのです。

新規工場との貿易取引

青島から車で3~4時間の距離にあるその工場は、貿易取引実績の無い新規工場でした。ただ、ともかく下記のような理由から、この工場でも上手く行くだろうと勝手に考え、発注に至りました。

この筆者の考えが甘かったと思い知るのは、そのずっと後の話です。

工場の回答に募る不安

契約を交わし、生地の確認や、サンプルを確認しながら、生産の準備を進めて行きました。その時から、既にやや予定よりも遅れていたのは事実です。工場には、お客さんの希望納期よりも1カ月以上前の納期を言って。万が一の保険も確保して居ました。そしてこの時点では、もともとお客さんの希望納期もそんなに急ぎではなかったので、特に気にして居りませんでした。

ところが、工場と約束していた納期になっても、輸入貿易に船積み書類はおろか、生産完了の連絡も来ません。それでも諦めず、何度連絡しました。「今、生産して居りもうすぐ生産完了する。完了次第出荷する」と言う返事が来るばかりでした。

実際、現地の駐在員事務所の中国人担当者が工場に見に行って現場確認すると、確かに製品は縫製ラインに乗って居り生産中でしたと報告があったので、筆者としては待つしかありませんでした。

そう云う状態が数週間続き、とうとう私が確保していた納期の余裕もすでに使い果たし、もう空輸しても納期に間に合わない状態になっていました。

さすがに、お客さんには怒られ、上司にはボンクラ扱いされました。さんざんな状態になり、先ずは自分の目で現状を見てこよう思いました。そして、中国へ出張し、工場訪問する事にしました。

工場での現場交渉

アポなしで突然訪問しました。そのため、工場にとっては不意打ちの様な形で我々バイヤーが来ると云う状況での工場訪問をしました。そこは予想だにして無かった光景がありました。本来あるべき私のオーダーは、1枚も工場の縫製ラインに乗って居らず、あるのは大人用のトレーナーばかりです。

よくよく工場の中を調べてみました。なんと、私の発注した商品は、未完成の状態で段ボールに入れられ工場の隅に山積みされて居るのです。現場に班長に聞いても、状況を把握して居らずいっこうに状況が判らないので、外出して居た工場長を待つ事にしました。

午後になって現れた工場長は、納期遅れして居る事に謝罪をするどころか

「急遽別の急ぎのオーダーが入ったので、そちらの生産を優先して居ます。それが終わり次第、あなたのオーダーは生産するから没問題です。心配しないで下さい。」

と、涼しい顔で、まったく工場側に責任はないみたいな顔で言ったのです。

工場側の言い分と自信の感情移入

この“没問題”のひと言で、筆者はプチっと怒りのスイッチが入ってしまいました。完全に我を忘れて声を荒げ、時にはテーブルをどんどん叩きながら、

・生産していなかったこと

・納期遅延を発生させたこと

・嘘をついたこと、、、など

工場の非をひたすら責めました。

そして、納期遅延による航空便での出荷の運賃、納期遅延に伴う値引きによる損失の発生を、容易に予想できました。それらの損失は、製品代の何倍もの金額に成ります。損失は、全てこの納期遅延の原因を作った工場に支払い義務があると、高圧的に言ってしまったのです。

工場長は、しばらく黙って聞いた後、いきなり予想外の一言を言いました。

「あなたには、もう出荷しません。」

最初は意味がわからず、なおも工場の責任追及の話を続けて居ると、、、

「今回の製品は中国国内で買ってもらえるお客さんを見つけます。あなたに販売しないことにします。もう用はないので帰ってください。私も現場に戻ります。」

と言って、工場長は会議室から出て行きました。

冷静になると

筆者は、最初は訳も分からず、怒りの矛先をどこに向ければ良いのか分からずに、会議室の中をせわしなく歩き回っていました。そして、時間が経つにつれて冷静になっていきました。だんだんと工場長の言った事の意味とその重大さが分かってきました。

商品が工場から出荷されないということは、お客さんへも出荷できません。それは、即ちお客さんも彼らの顧客である小売店へ出荷出来ない事を意味します。その店頭に穴を空けることを意味します。

また、お客さんの企画したデザインの製品が中国国内で出回ることも大きな問題です。

慌てて工場長に連絡するも、何度電話しても出てくれませんでした。他のスタッフに取り次ぎを何度頼んでも、いないと言われました。しかたがなく、その日は諦めて一旦工場を後にしました。次の日には工場長の気も変わるかも、と期待して訪問しました。しかし、工場に入れてもくれず、文字通りの門前払いをされてしまいました。

最終的に、もう二度と工場長とは会うことはできませんでした。

結果

結局、失意のまま帰国しました。帰国後すぐにお客さんに全ての事情を説明しました。最終的に、ノンデリバリーに伴う売上&利益保証のクレームを払う事で了承して頂きました。その金額は、当時の筆者にとってそれまでで最大損失になったのを記憶してます。お客さんが企画した製品が中国国内で出回る事に関しては、不問にして頂きました。結果的に、お客さん自身が登録したブランドだった(全国的な知名度も無いので)ため、不幸中の幸いでした。これが大手のブランドだったらと思うと、大変な事になってたと思いますが、、、

振り返ると

今になって改めて考えると、

約束した納期を守らなかった事、正確な情報を連絡してこなかった事。これらは、明らかに工場側の問題であったと思います。ただ、私のやり方が悪かったのは、感情的になり、一方的に日本側の論理を押し付けていました。そして、相手の言い分を、聞こうともしなかった事です。

トピック3 中国ビジネスで大切なコト

繊維貿易

今回の記事で紹介させて頂いた通り、

中国と日本では、色んな部分で考え方の違いがあります。当然その違いが基で色々な問題が出て来ます。その場合は、相手の言い分に対して聞く耳を持ち妥協点を見つける事が商売、いやビジネスに於いてとても重要なんだなと今更ながら感じて居ります。

特に繊維貿易の仕事は、業務が大変細かく、工場での製造過程で色々な事が起こり得るます。そのため、

・自分たちがバイヤーなんだから

・サプライヤーは100%自分たちに従うべき

という考えは慎み、その問題に対して耳を傾け一緒に解決する姿勢が重要だと思います。

その後アセアンの工場とのやり取りが始めました。その時、その姿勢の重要性をより顕著に感じる様になりました。

ちょっと私の失敗談が長くなりましたので、今回の記事はここまでとさせて頂きます。

次回は、2000年代に入って色々な変化がでた、繊維貿易の他のパターンを紹介させて頂きます。

筆者の部署は貿易公司を飛ばしての工場との直接取引に変化して行ったのに対して、

商社がメーカー的な動きをする様になったり、

衣料品メーカーが貿易公司と直接取引をする様になったり、

商社がより安価な製品を求めてアセアンの工場へ進出したり、、、

等々の変化を紹介させて頂く予定です。